偶然

 

 また、いつもの事です。彼の悪い癖が始まっただけ。

突拍子もない事を根拠に支離滅裂な話を捲くし立てようとしているのです。

それに、敢えて訂正させてもらうなら、タイトルも

『偶然と必然』にすべきなのに、彼は、それを正そうとしません。

「今までも一部の例外を除けタイトルは

単語一つであったし、その一語の語る言葉にこそ重みがある。

だらだらと長ったらしいタイトルを付けてしまっては、

物語そのものの主張が薄れてしまう。」

こう豪語してはばからない始末です。

全く彼の頑固さには困ったものです。

さて、私の愚痴はこれくらいにして、

その問題の物語とやらを除いてみましょう・・・。

 私は、何も代弁をしてくれなどと頼んだ覚えはないし

つまらない指摘をしてもらいたかったのでもない事だけは

云い添えて置こう。

が、ここでのタイトルが不適切であるとは否定しない。

だが、それには、理由があるのだ。

それは・・・。

いや、ここからの説明は、物語の主人公に任せるとしようか・・・。

 ある男がいた。名は、杉澱(すぎおり)勇。27歳。

つまりは、僕の事だ。

フリーのライターを生業にしている。

とはいえ、まだ駆け出しで、

副業をこなさなければ、生活にやや不安がある若輩者だ。

日常のふとした出来事が、思わぬ結果をもたらす事がある。

僕は、その何でもない日常から、

筆舌に尽くし難い事件に巻き込まれた。

偶然と必然の混在する世の中で有り得ざる出来事に遭遇した私は、

一躍、時の人となった。

ライターである僕にとっては、良くも悪くも売名行為に繋がった。

生きて帰ってこれた事さえ奇跡に等しい。

・・・それは、偶然だったのだろうか?

それとも、必然だったのだろうか?

そこには、危機回避という意図的な要素が含まれていたとしても、

それは、無に等しく、まさに偶然助かったというべきだろう。

ともかく、僕は、もう、ありとあらゆる定理をも覆されるような

出来事を体験してしまい、些かの事では、驚かなくなってしまった。

それをよしとするかどうかは、また別の話だが・・・。

その僕が、また、そんな暗澹とした渦中に足を踏み入れてしまった。

何故?何が起因したのか?

まるで理解できない。

それでも、僕は、ここにいる。

だから、貴方にお話しなくてはならない。

 さて、僕からの質問です。

貴方は、偶然と必然に対しての確固たる定義をお持ちですか?

どういう事が偶然で、どうなったら必然なのでしょう?

勿論、辞書を引けば、言葉の意味など明白です。

でも、何年も音信不通だった旧友のA君に○○駅で会った。

何となく電車を一本遅らせたら、その電車が、事故を起こした。

これらは、“偶然”で一括りにしてもよいのでしょうか?

どこかに、“必然”は、存在しなかったのでしょうか?

不確かな事柄から派生した物事を偶然と称する。

では、どこからが不確かと判断するのでしょうか?

僕が、誘導尋問をしているようですが、

それを否定もしませんし、肯定もしません。

必然の有無に対して、無いと断言するのは、

的確な判断材料が必要となります。

また、個々の判断基準も曖昧なもので、

事を容易とはしません。

・・・実のところ、僕もそれでいいと思います。

それでも、偶然を偶然だと云い切るための

一つの珍しい実例を挙げましょう。

勿論、これから述べる話のアラ探しは、存分に行って下さい。 

 僕の話ではないのですが、A君を仮に僕とします。

僕には、中学時代のクラスメートにB君という人がいました。

彼とは、特に仲が良かった訳でもなく、卒業後の音沙汰などありません。

そして、高校の友人にC君がいました。

彼とはそこそこ仲が良く、在学中には良く遊んでいましたが、

卒業するとそれっきりで、連絡が途絶えてしまいました。

さて、彼等を紹介した理由は何でしょう?

ここでお分かりの方もそうでない方も、

この続きを聞いて下さい。

そして、五年程立ったある日の事・・・。

僕は、いつものように仕事へ向かう道すがら、

一台の車から声を掛ける者がいました。

しかも、向かい側から僕とすれ違ったにも拘らず

わざわざ戻って来たのです。

それが、高校卒業後、連絡の途絶えていたC君でした。

僕の通勤のための住宅街の道で、繁華街と違い、

遭遇率も極めて低いと思われます。

しかも、五年の歳月が経っていて、車で一瞬見ただけにも拘らず

僕であると認識して引き返して来たのです。

もう、お分かりの事でしょう。

C君の車には同乗者がいて、それがB君だったのです。

C君が、級友に似たやつを見た云うと、

B君はそれを確かめる事を勧めたようです。

僕が、C君と話していると、B君は、僕を改めて見て

唐突に話し掛けて来ました。

驚いたのは、僕だけでなく、その場に居合わせた全員でした。

B君C君共に僕の級友という共通点を持ち合わせていました。

聞く所によると、B君は、C君の父親の経営する会社に就職し、

C君は、卒業後、そのまま手伝っているとの事。

まるで接点の無いはずの者が、僕という存在をもって、

“偶然”接点を得たのです。

云いまわしとして避けたかったのですが、

不適切な言葉を引用して伝達力を欠くので、

敢えて使わせて頂きました・・・。

ですが、果たしてこれでいいのでしょうか?

本当に偶然だったのでしょうか?

必然は伺えなかったのでしょうか?

その日は、そうなる運命だった。

それこそにべもない言葉だと思いませんか?

 では、ありとあらゆる可能性を考慮して、

必然の要素を探してみましょう。

どちらか、或いは、二人が、僕の所在、行動を把握していた・・・。

そんなストーカーじみた行為は、有り得ないでしょう。

既に、何度か僕を見かけている。

そして、その何度目かで声を掛けた。

それは、その時の会話からもそれと思しき言動は見受けられず

僕が、いつも同じ道を通らない事から可能性は余りに低く、論外です。

・・・やはり、必然性は、見受けられません。

三人の出会いは、“偶然”という言葉でしか括れないのでしょうか?

偶然の中の必然性、必然の中の偶然性。

どちらも存在してはならないのでしょうか?

 ・・・今の僕には、そのどちらも分からなくなってしまいました。

今の例の対してではなく、僕自身の日常そのものが、

偶然の産物なのか必然の構築なのか?

その然るべき境界を取り除いてしまったかのような

感覚に陥ってしまったのです。

一日に何回も会う事も無いであろう旧友に会ったり

悪戯ではない間違い電話を幾度となく受けたり、

交通機関の大きな事故現場に居合わせたり、

そう多くないであろうこの名前も公の場で度々呼び出されたり、だ。

これって、全部偶然なんでしょうか?

ここまで度重なり、偶然の中の必然も必然の中の偶然も

可能性は、決してゼロにはならない。

だが、これのどこが偶然なのでしょう?

同時に、必然性も見当たりはしない。

理屈では理解出来ても、人間には、生理的に納得出来ない事がある。

今がそうだ。

現代の最先端の科学を持ってしても解決出来ない。

結局、科学とて、万能ではない。

僕は、宗教家ではないが、そうであるならこうも言うだろう。

“神は、人類に決して万能の力を与えたりはしない。”

でも、それは、偶然と必然について哲学論でもなければ、

宗教論でもない。

僕が言いたいのは、今、僕の中で確固たる物事の尺度が

崩れ去っていくという事だ。

これは、自我の崩壊にも等しい・・・。

貴方には、注意してもらいたい。

僕のように回避出来なくなってから異変に気付く

様な事のないように、陣屡ガ、万能なる存在ない限り

偶然と必然もまた、“絶対”が、有り得ないのだから・・・。


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